栞の言の葉日記

日々の出来事、感想、思考を記録として文章に…。

全ては

「自分の代わりはいくらでもいる」

最近1番実感したことだ。

仕事では特にそう思う。
自分がしないといけないことがあったとしても、自分がいなくなれば簡単に代わりとなる人が現われる。
自分がその立場をおりても大して変化は無い。
変化があるのではと思うこと自体が、自分を買いかぶりすぎだろうか。

ただ、自分にしかできない、自分が必要だと思いたいのだ。
思ってほしいはきっと無理だ。
他人の感情はコントロール出来ないし、自分にはそれほど価値は無い。
だから、自分だけでも、自分じゃなければと思いたい。
が、それもそう簡単じゃない。
簡単に代わりが見つかるから。

自分にしかできない仕事などない。
世の中にはいるだろう、その人じゃなければという人が。
ただ、私にはない。
それを最近、身に染みて感じるのが痛い。

必死に頑張ってもそれなりにしかならない。
どんなに過程を頑張っても結局は結果だ。
そういう世界で生きている。

そうじゃな世界があるならそちらに身を寄せたい。

3月

今年ももう2ヶ月が過ぎ去っていって、
今日から3月か…。

このまま何も感じずに3月も過ぎ去って行ってくれるだろうか。

きっと無理だろうな。
毎月毎月、毎日毎日、色んな感情で溢れて生活する月がまた始まった。
月が変わっても何も変わらないんだろうが、
ただ今月は休まないぞー稼ぐぞーという気持ちで今はいる。

毎月の楽しみは給料日のみなのでその日さえも憂鬱になってしまわないように、稼ぐ。
好きなことやものに貢ぐために稼ぐ。

そう思い毎朝思い身体を起こして準備を始める。

今月もあっという間にすぎてください。

自分の気持ちのせいかくらい記事が続いてしまっている気がする。
明るい記事ってどうやって書くんだ。
そもそも明るいってなんだっけ…。

永遠

なんだか最近、「全てのことに終わりが来る」
ということに胸が苦しくなる。
と同時に心休まるときもある。

大好きな漫画やアニメ、大好きなアーティストの活動、大好きな映画の上映期間、大好きな小説家の執筆活動。
大切な人たちが当たり前にいることも今の日常もいつか必ず終わりが来る。
そして、終わりが来たらいつか忘れてしまう日がくる。
忘れたことも忘れてしまう日が。
毎日そのことが頭の片隅にいて、「あぁ、これも終わりが来るのか」と胸がぎゅっとなる。
ぎゅっとなって、そして知り得ない未来に不安を感じる。
ずっと、今の日常が続けばいい。
ずっと、大切なものが近くにいてあってほしい。
ずっと、変わらない自分でいたい。

苦痛な学校、苦痛な仕事、苦痛な空間、苦痛な出来事。
悲しく耐え難い出来事も辛く耐え難い出来事ももいつか必ず終わりが来る。
そして、終わりが来たとしても他人から与えられた悲しみは心にずっと残り続ける。
忘れたくても忘れられない。
たとえ忘れなれなくても、いつか終わりが来ると思いなんとかその場を凌ぐしかない。
嫌な仕事も数時間後に終わると思い毎日なんとか耐えられる。

始めてしまったら終わりが来る。
終わりが来るから始められる。

終わりが来ることに胸を痛め、終わりが来ることに慰められる。

幼い頃は知らなかった。
大切な人が大切な時間が永遠ではないということを。
学生の頃は知らなかった。
苦しく耐え難い集団生活が呆気なく終わりを迎えることを。

全てのことは大体がいつか終わりを迎える。
良いことも悪いことも、終わって欲しくないことも欲しいことも。
いつか自分という人間が終わる瞬間が来るように。

出来れば来世は人間じゃない、生き物じゃない感情のないものになりたい。
いや、来世は必要ないか…。

過去と今と夢

私は人がどういった人生を歩んできたのかあまり興味がない。
興味がないという言い方はあまりいいように聞こえないかもしれないが、今のその人が素敵だったら過去は関係なく、素敵だと思う。

過去の話になって「お恥ずかしながら…」という人がいる。
例えば、出身の高校や大学の偏差値が低かったり、大学に行ってなかったり、短期間で仕事を辞めたりなどが今まで多かった気がする。
なぜ自分の過去を他人に話すことにこの前置きが必要なのか、私はその前置きを聞く度に今がこんなにも素敵なんだから恥ずかしいことなんて何もないじゃないかと思う。

ただ、自分のことになると別だ。
私自身、高校卒業後すぐにフリーターで色んなところを転々としてきた。
この話をしなくてはならない時になぜか引け目を感じる。
自分がどんな人生を歩んできたのかなんて他人には関係ないはずなのに…。

そして、自分自身が引け目を感じながらその話をすると
「自分の価値を自分で落としたなぁ」と思う。
その話をしたことで、相手が測る自分の価値ではなく、引け目を感じながら話していることに自分が測る自分の価値を下げてしまったと。

自分は自分、他人は他人。
人それぞれ歩んできた人生が違うのが当たり前だ。
そして、それを他人にどう思われようと関係ない。
今を精一杯生きていることに変わりはないのだから。
でも、多くの人は他人にどう思われるかを気にしてしまう。
私も含めて。

過去を含めて今の自分なのはわかっている。
ただ、過去が評価の対象だと思ってしまっている自分が嫌だ。

人は必ず他人を評価している。
立場は関係なく、その人がどういう人で自分と合うのか合わないのか、好きか嫌いか、得意か苦手か、自分にとって良い人か悪い人か。
無意識のうちに評価してしまっている。
やめたいしやめてほしいけど、こればかりは難しい。
だから私は、過去を評価の対象にすることはしたくないと思っている。

他人に強要はしない。
ただ、気にせずに過去も今も夢も話せる自分でありたい。

ぬくぬくぬるぬる

「家から1歩も出たくない。」

最近の私の頭の中はある漫画のこととどうしたら働かずしてお金を稼げるかの2つで埋め尽くされている。

家から出ずにある作品の漫画とアニメを見まくってグッズを買い漁り、映画を見るためだけに外に出る。

という生活を夢見ている。
この夢をどうやって現実にするか。
そのことで頭がいっぱいだ。

仕事の日、朝起きて1番に思うこと、
それは
「早く帰ってアニメ観たい」
だ。

この漫画のことはまた記事に書くとして、
とりあえず私は外に出たくないのだ。
できるだけ関わる人間を減らして稼ぎたいのだ。

最近はとことん堕落している。
堕落万歳だ。

週5日、朝から晩まで働いている人がこの世の中には大勢いる。
月曜日から金曜日、5連勤。
心の底から尊敬する。
私には無理だ。断言できる。
考えただけでも憂鬱になる。

週4日、最高でも2連勤、実家暮らし、社会に出てもぬくぬくぬるぬる生きてきて10数年。
この先どう生きていこうか、生きていけるか。
不安で不安で仕方ない。
が、とりあえず今はぬくぬる生活から抜け出せそうにはない。

強敵

私は何年経っても何をしてもどう足掻いても勝てないだろうと思う相手がいる。

それは湿気だ。

理由は簡単。
髪質が湿気にどうしても勝てないのだ。
どんなに綺麗にアイロンあてて、強力なヘアオイルを塗りまくったって雨が降っていたら一瞬でちりちりになってしまう。

前髪はひん曲がり、髪の毛は広がる。
色んなオイルを試したが結果は全敗。
今使っているオイルが今のところ1番マシだった。

なぜこんな記事を書こうかと思ったか。
それは今日、朝出かけるときに霧がかかっていた。
雨は降っていないのに外が真っ白だ。
「あぁ、これは負ける。」
そう確信した。

そして案の定、車窓に写った自分を見ると綺麗に整えた髪は見事にボサボサになっていた。
この髪で1日過ごすのか…。
髪の毛が上手くいかない日はそれだけでテンションが急降下だ。
早く帰りたい…。
そう思ったのは、朝6時30分。

世の中の人はどうやって湿気に勝っているんだろうか。
本当に謎だ。

もう少しで髪を結べる長さになる。
それまでは雨が降らないことを祈る毎日になりそうだ。

かろやかに

2つ前の記事で頑張ることをやめて、自分の体調第一にしたことを記録した。

それから初出勤だ。
頑張ることをやめる延長線上で
"頑張って動くのを辞める"ということを試みた。

漠然と動くのを辞めると言ってもいまいち分からないのでとりあえず、今まで全部しなくてはと思っていたことを"ここまで出来たら上出来だ、あとは次の人に任せよう。"と"察するのをやめて、自分の本来の仕事だけをしよう"を実施した。

そんなことでは変わらないと思っていたが、
びっくりするほど楽になった。
身体がではなく、心が。
せかせか動き回って"自分が、自分で"をなくしただけで、心が軽くなって体も軽くなったし気がする。
大袈裟だと思うかもしれないが、本当に。

今まで自分を追い詰めていたのは自分自身だったのかもしれないと感じた。
現地に行くまでとても憂鬱だったが、これなら明日からもなんとか生き延びれそうだ。