栞の言の葉日記

日々の出来事、感想、思考を記録として文章に…。

今年の本事情

今年はまだ1ヶ月しか経っていないというのに、世間でも自身の身の回りでも心に影響する多くの出来事が起きた。


日々、目まぐるしく更新されてくありとあらゆるニュース。

頭にも心にも入れる隙間がなくて追いつけなくなる。


テレビやネットで悲しいニュースを目にすると当分の間、何故か心が苦しくなる。

ニュースだけじゃない、アニメや漫画、小説などの物語で悲しいことが起きたときもだ(特に推しが関わると、その作品に関連するものを見たり聞いたりする度に苦しくなる)。


理不尽なことを見たり聞いたりすると、自分と全く関係がなくても腹が立ってくる。

「なぜ」「どうして」が腹の底から溢れ出てきて抑えられない。

腹を立てたあと、悲しさに呑み込まれる。

結局は弱いものや少数派が理不尽とともに生きていかなくてはいけない。


だから、あまりニュースは見ないようにしている。

感情がなるべく動かないように、世の中から目を背けている。

それが私の自分を守るすべなのだ。

卑怯だなと思い、それでもまた落ち込んでしまう。


感情が呑み込まれやすく移り変わりやすい。

(稀にとんでもなく客観的かつ冷静になる無双モードのときもある)


周りの目はしっかり気にするし、私が来た途端に会話が終わると私のこと(悪口)を話していたのだろうと自意識過剰モードに突入する。

誰かに向けた文章は少しのことでも頭をフル回転させて書かなければならない(失礼がないか言葉がおかしくないかなど、学がないながらに考える)。

そのくせ、おかしいと思うことがあったら、自分よりも上の立場の人には容易に突っかかっていき、やってしまったとまた落ち込む。

気を使うくせに愛想はないし、家族や仲のいい友人(3人)以外は基本的に敵だと思って生きてる。

それなのに、一人は好きだが独りはちゃんと寂しいと思うタイプなのだ。

こんな自分の性格が嫌いで嫌いでたまらない。

なんとも生きずらい性格をしているなと思う。


こんなに生きずらい性格は私だけなのではないかと思っていたのだが、つい最近読んだエッセイで私だけじゃないということが判明した。

まるで自分の思考を読んでいるのではないかと錯覚するほどに自分に近い何かを感じた。

不思議な感覚だった。

世の中に私だけじゃない、この本の作者もそうなのだ、いや、なんなら他にもたくさん潜んでいるのではないかと思いとても嬉しかった。


そのエッセイに

「しんどいのはあなただけじゃない」 (中略) 慰めてもらった言葉にさえもモヤモヤしている自分がいた。わかるよ、私だけじゃないのは、わかるんだけど・・・・・・それでも自分にとっては大問題なのですよ、(後略)

という文章がある。

全くもってその通りだ。

あぁ、こんなにもしっくりくる言葉に出会えるなんてと歓喜した。


まるで自分の一部かのように違和感なくすっと入ってくる言葉たちだった。

今年初めて読んだ本がそれだったので今年の本事情はいいものになりそうな予感がした。